無外流居合とは

居合道とは

 

機に際しては迅速に抜刀し、敵を迎え討つ日本の古武術です。

立会がお互いに構えたところから始まる剣道と違い、居合は刀を鞘に納めた状態からの勝負を想定しています。居合では敵に当たり、柄に手を掛け鯉口を切ってから敵の数と配置に則した一連の立回りの後の動作を形として伝えています。

居合の稽古は、実敵がいない為(一人稽古の為)ただ美しく抜刀し、斬突をして納刀をするという事になり易く、これは居合を行う者の最も注意しなければならないところで、実際に敵を斬突する気勢(気迫)と共に気韻(風格)を要求されるのです。

これらは一朝にして出来るものではなく、形に入り、術を身につけ、さらに心の刀を抜くに至るまで長い年月の稽古を必要とします。

気勢や気韻が外形に表現されるのは、心と体の修練としてなのです。

この気勢、気韻が備わるとむやみに刀を抜かずとも、自ずと勝敗を決することが出来るようになるのです。

無外流居合とは

流祖 辻 月旦

流祖・辻月旦(幼名:兵内)は、慶安元年(1648年徳川家光の世)近江の国甲賀郡宮村字馬杉に生まれ、13歳の時に京都で山口流の山口卜真斎について山口流剣術を学ぶ。

26歳の時に兵内は、師より山口流の免許を認可、同時に江戸出府を許され、麹町九丁目に道場を構えて山口流兵法の看板を掲げた。

しかし、名もない田舎兵法者として相手にされず、僅かばかりの弟子と稽古、修行した。

また兵内は、学問と心の修養の必要を感じ、麻布吸江寺の石潭禅師に師事、禅学と中国の古典を学んだ。

その後、石潭禅師が遷化されたため、続けて第二世・神州和尚について参禅、兵内45歳の時に悟りを開き、神州和尚は石潭禅師の名で次の偈(げ)をあたえた。

 一法実無外(一法実に外無し)

 乾坤得一貞(乾坤一貞を得)

 吹毛方納密(吹毛まさに密に納む)

 動着則光清(動着すれば光清し)

 

兵内を改め月旦資茂(げったんすけもち)となし、流名を偈より取り無外流としたのは、元禄六年(1693年)の事である。

 

無外流居合とは、正確に言うと自鏡流居合ですが、無外流の指南役が指導していたため、一般に無外流居合と称していました。

無外流流祖である月旦は、自鏡流居合の祖・多賀自鏡軒盛政について自鏡流居合を学び、辻家代々自鏡流宗家の指導を受けていました。自鏡流居合は六代で後継者が絶えたため、無外流伝承者に受け継がれてきました。

現在の無外流居合は、無外真伝剣法の中で伝えられてきた自鏡流居合を無外流中興の祖・中川士龍師範が無外流居合兵道として改めたもので、「無外流居合兵道」と言う言葉は第十一代宗家・中川士龍申一先生の「造語」です。

自鏡流第五代宗家・山村司昌茂先生に、居合を教わり無外流の稽古に本格的に取り入れたのは、第六代宗家・高橋八助充亮先生とその弟である秀蔵先生であり、その居合を20本の形、3本の内伝に纏め上げたのが第十一代宗家・中川士龍申一先生です。

現在、我々は第十一代宗家・中川士龍申一先生が纏め上げ、名付けた「無外流居合兵道」を稽古しております。

 

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